ペイントビズ(PAINTBIZ)

近代建築塗装発祥に諸説あり

2つの意見の相違

・(株)櫻井 引用:株式会社櫻井歴史・沿革2

「ペンキ」という名前すら知られていなかったこの時代、初の試みにたいへん苦心した辰五郎ですが、(省略)~悩んだ末、幕府に出入りしていた通訳コスカルドの紹介でペリーの側近であるコンテエ氏に頼み、本牧沖に停泊していた米船アンダリア号へ出向いてペンキと油を入手します。さらに通訳ヰルリアムス(ウイリアムス)氏の指示を得て乗組みの職人からペンキ塗工の方法を学んで、再び塗装工事に臨んだのです。
同年2月6日、工事は無事に完了、一ヶ月後の3月3日には日米和親条約が滞りなく調印されました。これがわが国における近代塗装請負業の始まりであり、当社の起源でした。

・(一社)日本塗装工業会 引用:「日本近代建築塗装史」P25 出版:時事通信 編著:(一社)日本塗装工業会

安政元年二月八日に来航し、二月八日に会談の場所が決定。三月八日に第一回の会談が行われた史実を考慮するとき、いかに急造の仮設建物とはいえ、初めて扱う塗料を用いて短期間に外壁を塗装することは物理的に不可能である。またわが国最初の塗装工事という大事業がどの歴史書にも見いだすことができないことからも、談判所の外壁塗装を本邦の嚆矢(こうし)とする説は今のところきわめて信憑性が薄い。

この二つの文章を並べると分かるのだが、日塗工の日本近代建築塗装史では明らかに、(株)櫻井の見解への否定ように思える。

但し「日本近代建築塗装史」では上記の文章の後に以下のような文章が続く。

・(一社)日本塗装工業会 引用:「日本近代建築塗装史」P26 出版:時事通信 編著:(一社)日本塗装工業会

重要なことは、安政5年(1858年)日米修好通商条約の締結で、横浜をはじめ長崎、兵庫などに設けられた居留地に建設された商館うや外人住宅などにペンキが塗られ始めた事実である。(省略)~多くの洋館建築の出現とともに塗装需要が増した一連の動きの契機となった時代こそ、近代建築塗装発祥の時代といえるのである。

2者の言い分、どちらが正しいかはさておき、この時代背景と共に「横浜から、日本の近代的な建築塗装工事が広まった」のだ。

但し、江戸時代の木造建築は火災が頻繁に発生していたため、資金のある商店などは同じ家一軒分の木材を別の場所にストックしていたり、火災発生後もすぐに町や住宅を再生させることができるように、建材の長さや尺が規格標準化されており、比較的小さな建物ならば2~3日で組み上げることは日常的に行われていた。

日本近代建築塗装史では「短期間に外壁を塗装することは物理的に不可能」といっているが、株式会社櫻井の創業者、塗銀初代、町田辰五郎は既に渋塗職人としての技術があり、刷毛の扱いに慣れているのだから、新しい塗料への応用だと考えれば、「不可能」とは大袈裟ではないだろうか?しかも複数人で作業すればすぐに終わってしまう。

また、当時の渋塗職人は白い足袋を履き、「どれだけ汚れないかで腕を競っていた」ことが他の文献で残っている。(出典を忘れてしまったので、見つけ次第掲載。)

時代背景による大工職人のスピード感。既に渋塗りで培った当時の塗装工のスキルがあれば不可能ではない。
恐らく日塗工の見解は「職人の実力」に対しての評価は無く、史実から抽出ができなかったことへの意見だろう。

また、「わが国最初の塗装工事という大事業がどの歴史書にも見いだすことができない」ともあるが、一時的な小屋の「建て」と「塗り」が歴史書になくともなんら不思議ではない。
そもそも、職人たちにとっては「最初の塗装工事」ではなく、渋塗りの延長線として捕らえていた工事だったかもしれない。

詳しく知りたい方は株式会社櫻井のサイトと、時事通信発行「日本近代建築塗装史」を読み比べてはいかがだろうか?
但し、発祥ではなく、発展という解釈ならば双方の言い分は通る。

しかし、本当の意味での国内でペンキを塗った工事の発祥は、実は長崎県の出島、若しくはそれ以前の長崎県平戸という説が濃厚だ。
世界初のグローバル企業の東インド会社の建物に施された、とか何とか。

国内の「近代建築塗装の発祥」には諸説あり。果たして真実はいかに。

しかしそれ以前から、漆や柿渋などの古典的な塗料による塗装は既に日本で行われている。
そちらについては別途記事化を行いたい。

今回はあくまでも「近代建築塗装の発祥」について記事化を行った。

参考にペリー来航のYouTube動画を掲載。

©︎PaintBiz By 二見勇治

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二見勇治

著者:二見勇治 Futami Yuji

建築塗装アナリスト
企画・取材・撮影・動画清作・ライティング・マーケティング 担当
東京都出身。建築塗装業の長男として生を受け、多くの職人達の中で育つ。塗装職人と造園職人の修行を積んだ後、カメラマンへ転身。出版社カメラマンを経て2001年よりフリーカメラマン。
雑誌・書籍・広告撮影、塗装関連の写真・動画制作、リフォーム会社広告担当を経験。
建築塗装の新たな表現を模索中。