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建築塗装とサッカー Jリーグ

勝利と相反したありえない喪失感

スポンサー就任の祝い事に水を差すようで、大変申し訳ないが横浜FMでは、どうしてもスポンサードにまつわる「ある」出来事を思い出してしまう。

スポンサー事情から起きたサッカー界の悲劇、
そう「横浜フリューゲルス」のスポンサー撤退によって起きたストーリだ。

1999年1月1日。天皇杯決勝戦の国立競技場。横浜フリューゲルスの最後の試合。

年の瀬まで塗装工事を行い、その数日後の元日。筆者は国立競技場で試合を観戦していた。

実はフリューゲルスのサポーターでも、対戦相手の清水のファンということでもなく、知人の付き合いで試合を観戦していただけだった。

しかし何度もサッカー観戦で訪れた国立は、今までに感じたことの無いほどの異様な雰囲気の中ゲームが行われ、天皇杯の優勝が決まった瞬間は、怒涛の歓声と悲鳴とが国立全体に響き渡り、様々な感情が爆発していた。

あんなに悲しい決勝戦。勝利と相反したありえない喪失感があったゲームは今まで見た事が無かった。
多分これからも見ることはないだろう。

その1ヵ月後、1999年2月1日、フリューゲルスはマリノスと正式に合併し、チームは消滅。

横浜フリューゲルスの消滅はJリーグ史上に残る事件だった。

事の起こりは、出資会社の一つであったゼネコンの佐藤工業の経営不振によってクラブ運営からの撤退を表明したこと。
そしてもう一つの出資会社であるANA(全日空)も単独でクラブを支える余力がなかったことが原因だ。

元フリューゲルスサポーター達はANAに対して最悪のイメージを持つ出来事となってしまった。

この事柄に関しては様々な逸話があるため本記事では触れず、興味のある読者は自身で調べて欲しい。

しかし、フリューゲルスの解体に至った根本は、クラブ運営の資金調達に失敗したことだ。
この事件以後、Jリーグでは各クラブの財務状況を公開する制度が始まり、クラブ運営の透明化が行われる切欠となったのだ。

”Jリーグチェアマンとして事態の収拾に当たった川淵三郎は、「自分に話が来た時は両チームの合併は決定事項で覆せなかった」という言い訳する一方、Jリーグの責任者として合併を認めた事はサポーター達や前田選手会長などから当然のごとく「サポーター無視」として多くの批判を浴び、後に「これが一番辛かった」と述懐した。この事態は親会社に依存した各クラブの経営体質に問題があると判断した川淵は経営監視体制の強化に乗り出し、各クラブの財務状況の公開を徐々に進めた。”

引用:Wikipedia 横浜フリューゲルス

ここで重要になってくるのがメインスポンサーの経営状況である。

言わずとも分るだろうが、横浜FMのトップパートナーは日産自動車だ。
もうお分かりだろう。例のカルロス・ゴーン元CEOのレバノンへの海外逃亡で日産のイメージは下がり、更に新型車の市場投入が全く出来ていない中でこのコロナ不況に突入した。

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二見勇治

著者:二見勇治 Futami Yuji

建築塗装アナリスト
企画・取材・撮影・動画清作・ライティング・マーケティング 担当
東京都出身。建築塗装業の長男として生を受け、多くの職人達の中で育つ。塗装職人と造園職人の修行を積んだ後、カメラマンへ転身。出版社カメラマンを経て2001年よりフリーカメラマン。
雑誌・書籍・広告撮影、塗装関連の写真・動画制作、リフォーム会社広告担当を経験。
建築塗装の新たな表現を模索中。