経済現象が塗装屋の作業着を変えた
バブル崩壊の定義は1991年3月から、1993年10月までの景気後退期を指すが、そもそも1990年代全てが日本の景気後退期であり、「失われた20年」は延びに延びて、現在では「失われた30年」へ突入している。
しかしバブルが弾けたからといって、91年に突然「イチがゼロ」になったのでは無い事は周知の事実。
実際には1991年から1996年までの、急激な地価下落とともに町場での景気も後退した。
そこにニッカが登場する。
この時期はどこもそうだが、大規模工事も景気後退によって件数や規模が縮小した。
それに伴い、足場屋や鳶の仕事も急激に無くなる。そして鳶が稼ぐために知り合いのペンキ屋の門を叩いた。
職を失った鳶達は着の身着のまま、ニッカを履いて塗装をはじめる。
これがニッカが塗装屋の作業着になったはじまりだ。
その後徐々にニッカが塗装屋の市民権を得て、今では塗装屋=ニッカになった。
但し、前述でも記しているが昔堅気のペンキ屋や2代目、3代目の塗装屋はニッカを履かない。
バブル崩壊以前は、塗装屋の作業着は今のオールドスタンダードな作業着となんら変わらない。
ストレートパンツのスラックス型作業着や、自分の履き古したズボンの流用だった。
夏場は下着のシャツに、下は作業着のスラックスで裾を絞り靴下に入れ、地下足袋のこはぜで絞める。
ニッカとは違い、逆に靴に向ってテーパーが絞られタイトな足回りだ。
しかも、東京では白い足袋が正装。(白足袋については歴史的な背景があるため別記事で解説。)
町場は元来、丸太足場であったために丸太への足裏追従が良い地下足袋が使われていた。
大規模は枠組足場で足元が安定しているため、安全靴でも作業が出来る。
しかし、足袋は追従性が良い半面、加重が一箇所へかかり易く、屋根には向いていない。
また、地下足袋のコハゼは面倒くさく、内装と外装を行き来する場合は非常に面倒だ。
そして足袋靴が出現し、ニッカも足袋靴にマッチする形状になった。
作業着は仕事の内容や環境によって変わるが、まさか経済現象による異業種参入で、作業着の移り変わるとは誰も思っていなかっただろう。
社会現象とペンキ屋とは縁遠いように感じるが、実は何事も隣り合わせで変わっていく。
「ほら勇治、見てみろ。ペンキ屋なのにニッカ履いてるぞ。あいつは鳶からペンキ屋になったな。」昼休みに入ったラーメン屋。90年代初めの頃、オヤジがいった言葉を今でも忘れない。
あれ?そういえば、野丁場メインの応援に来ていた職人は、80年代にニッカっぽい感じのゴト着を履いていたような・・・
「町場はニッカを履いていなかった」だったかも。
う~ん記憶が曖昧だ。
©︎PaintBiz By 二見勇治
著者:二見勇治 Futami Yuji
建築塗装アナリスト
企画・取材・撮影・動画清作・ライティング・マーケティング 担当
東京都出身。建築塗装業の長男として生を受け、多くの職人達の中で育つ。塗装職人と造園職人の修行を積んだ後、カメラマンへ転身。出版社カメラマンを経て2001年よりフリーカメラマン。
雑誌・書籍・広告撮影、塗装関連の写真・動画制作、リフォーム会社広告担当を経験。
建築塗装の新たな表現を模索中。